詩篇37:25
私が若かったときも、また年老いた今も、正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請うのを見たことがない。
癒しと健康
詩篇105:37主は銀と金とを持たせて御民を連れ出された。その部族の中でよろける者はひとりもなかった。
300万のイスラエルの民が癒される
何のための癒しだったのか
出12 過ぎ越しの祭りの日の起源
すべての、人の病を癒されるイエス様
マタイ4:22-24
22. 彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。
23. イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
24. イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで、人人は、さまざまの病気と痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかん持ちや、中風の者などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをお直しになった。
エジプトの人々にに与えた病気は与えない、健康を得ることができる
病気から守られる→癒しの主がともにおられるから
出15:26そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」
癒しを受け止めるための条件
主に従うだけで受け止められる祝福
出23:25-26 25あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。
26. あなたの国のうちには流産する者も、不妊の者もいなくなり、わたしはあなたの日數を満たそう。
主は私たちが健康であることを望んでいる
Vヨハネ2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
霊的な状態によって健康が与えられる。
1.主が私たちのいのちの主であることを毎日認める(告白する)
主に自分を完全にゆだねて、従うこと
→それは、主の御心を知り、行うことである。決して、難しいものではない。
そして、神様の御心を行える力を得たいのなら、充分神様との時間を持つ必要がる。
主のみ前に出て主に精霊の力を求める
知恵を持って主の御心が何であるか探る必要がある。
エペソ5:15-17 15そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、
16. 機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。
17. ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。
主を求めることにもっと時間を費やす。
主が自分にあまりにも大きな期待を寄せているように思えるときもあるが、主がいつも共にしてくださる。
自分ひとりで生きているのではなく、主とともに生きている
カラデヤ2:20私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
主にあってすべてを行える。主によって成功への道へ行ける
左端は偽りをもってだまそうとする。しかし、主がご計画を与え成功へと導こうとしている
主に従えるなら、成功は目の前に待っている。
疑いや心配は必要ない、主とともに歩むのならすべての悩みが過ぎ去っていく。
神様の御心を行う人は誰でも神の子です。
ローマ8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
また、御霊によって成長させられています。
2.主のみ前にあって正しいことを行う必要がある
Uコリント6:14-15 14. 不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。
15. キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。
よいクリスチャンならば、不信仰者との交わりを長く持つことができない。
証人として立つことはある。
サタンの国のものと距離を持つ必要がある
3.耳を主の御言葉に傾け、御言葉に従う
サタンの誘惑の場面
パンだけではなくかみさまの御言葉で
ルカ4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない。』と書いてある。」
申命記(箇所不明) 主にへりくだり、主に従う
そして、神の言葉によって生きる
4.カルバリについて言わざるを得ない(イエスキリストを伝える)
カルバリの主の背中は、誰かによって耕したように鞭打たれた。
詩篇129:3 耕す者は私の背に鋤をあて、長いあぜを作った。
それは、私たちを救うためである
イザヤ53:4-5 4. まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
5. しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
ヘブライ語の聖書では、私たちの痛みをとるために痛めつけられたと書いてある。
すべての病人の苦しみをもうすでに、その体に背負ってくださった。
主は私たちの罪と病のために死んでくださった。
罪によって死に、
Tペテロ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
義の場に立ってこれ以上罪を行わないように死んでくださった。
まとめ、
では、どうすればよいのでしょうか。
★主の御言葉を、御心を受け取り、行うことです。
★日々の義の生活即ち、生きた信仰が必要です。
★ 備えられた花嫁のように準備する必要があります。黙示録19
十字架はもうすでに成し遂げられたものであり、罪の対価はもう支払われた。
私たちは恵みに預かるだけ、完成された恵みを信じ受け取るだけ。
そして、サタン(罪)から切り離された人生を持つ人として生きるだけ