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NEW LIFE FAMILY CHURCHニューライフ・ファミリーチャーチ

み言葉の黙想devotion

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2013年5月26日(日) 箴1-3,ローマ7 久保
主を恐れることは知識の初めである。<箴言1:7>

私にとって、とても、思い出深い箇所です。信仰の恵みを与えられて、二ヶ月程経った頃に、ただ神のことをもっと知りたくて、とにかく、何かを吸収しようと貪るように聖書を読んでいた頃に、初めて、デボーションという通読とは全く違う機会を与えられた時の箇所です。その日は、飯塚先生も用事にて不在で、NOBUさんとTOMOKOさんとでの、たった3人の木曜礼拝の日でしたが、賛美の後に、NOBUさんが、デボーションをして分かちあう時間にしようとリードされました。私にとっては、初めて聞く言葉であり、全く方法もわからないことでしたが、箴言1章を読み、感じたことを神に書くということで、実は内容は全く覚えていませんが、今日の箇所について記したことを覚えています。ですから、今日の箇所は、私にとって、初めての記念すべきデボーションにおけるScriptureなのです。
私にとって、聖書を読むこととは、今考えると本当に不遜であり、恥かしいことですが、その内容から、自分の考えの中で神を規定すべき論理性を追求することであり、まるで、聖書理解度テストに臨むように、その”デボーション”と言われた時間を過ごしたのです。
そして、分かち合いの時間でのTOMOKOさんの内容に本当に驚かされました。それは読んで理解した結果ではなく、主との聖書を通しての【会話】結果の披露でした。それこそ、目から鱗が落ちたようでした。(残念ながら、未だに、私の目にはまだ30枚くらい鱗が残っているようですが、とにかく、1枚は落ちました!)
デボーションとは、緊張感を持って神を理解する為に参考書として聖書を読むのではなく、霊的言語翻訳機としての聖書という通信手段を通しての交わりであることを知ったのです。それは、しなければならないという義務から、私がどんな時にも、私がどんな状態であっても、私を愛してくださる主との大切な喜びの時間へと変わりました。

前段が長くなってしまいましたが、今日の箇所のテーマは知識なのですが、極論すると主を恐れない状態では、知識と呼ばれているものであっても【知識】ではないということです。デボーションを知る前の私は知識を求めながら、【知識】を得ることは出来ませんでした。

私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。<ローマ10:2〜3>
知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。<コリントT8:1〜3>
デボーションを知る前の私は、間違いなく、現代のパリサイ人を目指していたのです。聖書を読むという一見、敬虔であるような行為が、真の【知識】を得ないでは、人をさばく道具となることあるのです。聖書を読むことで、主から離れていくということに慄然とします。
今は、デボーションを通して、日々、主と交わり過ごしながら、真の【知識】を主が与えてくださり、その【知識】が蓄えられることによって、一人でも多くの、まだ主に愛されていることに気付いていない人達に、NOBUさんやTOMOKOさんのように、主に愛されていることを知った真の喜びを伝えることが出来るように望んでいます。

事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
<コリントT1:21>

天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。
ハレルヤ!
2013年5月27日(月) 箴4-6,ローマ8 新井
S:箴言 6:6
なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。
  箴言 6:9〜11
  なまけ者よ。いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるのか。しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む。
  だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。

O:手をこまねいていないで、すぐに行動に移せ。

A:こんなところを(?)示されました。約40年、家庭をも顧みず働き続けてきて、やっとゆっくりできると思っていた矢先、このところが示されてしまいました。
この6節の蟻の働き方、動き方は、脇目も振らず、黙々と動き回っている。自分の昔を思い出すと、そのような時期もあったなと。今は、どうなんだろう。
こんなに働きづめで来たのだから少しくらいゆっくりしても良いのではないか。しかし、人の人生は、死を背負って、また、死と裏腹である。いつ、お迎えが来るか分からない。
昨日、(5月26日)金城学院大学の学長柏木先生がテレビで言っていました。防災訓練は、いつ起こるかわからない災害に備えて年に1回は、多いところでは2、3回行っている。人の死は、必ず起こる。
死について、一年に1回くらいは考えてみるのは良いのではないか。柏木先生は、自分の誕生日に行っているそうだ。
私は、その意識はあるけれど、死ぬ前にやっておきたいことがある。その取り掛かりが中々できない。そこのところかな、と思わされました。すぐに、計画を立てて取り掛かりたいと思いました。

P: ハレルヤ、主の御名をほめたたえます。父なる神様、御言葉をありがとうございます。また、思いと導きをありがとうございます。
悔い改めの決心ができたことをありがとうございます。
御国が来ますように。御心がこの地になされますように。
聖霊さま、この一週間も導いてください。
私の救い主、主イエス・キリストの御名により、お祈りいたします。   アーメン 
2013年5月28日(火) 箴7-9,ローマ9 飯塚師
タイトル: よみへの道、死の入り口
御言葉:箴言7:7 わきまえのない者たちを見ていると、若者のうちに、思慮に欠けたひとりの若い者のいるのを認めた。 7:8 彼は女の家への曲がりかどに近い通りを過ぎ行き、女の家のほうに歩いて行った。

箴言7:22-23 彼はほふり場に引かれる牛のように、愚か者を懲らしめるための足かせのように、ただちに女につき従い、 ついには、矢が肝を射通し、鳥がわなに飛び込むように、自分のいのちがかかっているのを知らない。

箴言7:25 あなたの心は、彼女の道に迷い込んではならない。その通り道に迷ってはならない。26 彼女は多くの者を切り倒した。彼女に殺された者は数えきれない。 7:27
彼女の家はよみへの道、死の部屋に下って行く。

箴言7章は性的な罪の誘惑に対して警告しているところです。私たちの周りにもそのような罠はたくさんあります。学校や職場での誘惑や好奇心をもたせるような刺激的な会話。異性がいる場所でのお酒。パソコンなどでインターネットをしていると出てくる異性の写真。メールなどに勝手に送ってくる誘い。・・・切りがありません
@ 彼は誘惑されるのを知りながらその女性の家に近づいていきます(8節)。・・・この時は自分ではまだ戻れると思っているのかもわからない。・・・ここが一番大切な決断。近づくのか離れるのか
A 危ない環境・・・それは、たそがれの、日の沈むころ、夜がふける、暗やみのころだった(9節)。
B 誘惑と出会う・・・すると、遊女の装いをした心にたくらみのある女が彼を迎えた(10節)。
C 言葉巧みに誘惑され続ける・・・女はくどき続けて彼を惑わし、へつらいのくちびるで彼をいざなう(21節)。・・・サタンは言葉巧みに語りかけ続けます。このぐらい大丈夫だよ・・・
D 自分では制御できなくなり罪の道へ進んでしまいます(22−23節)。
E 結果を刈り取る(25−27節)。→すぐにイエス様のところに行って悔い改める。必要によって牧師や先輩のクリスチャンのところに行って祈ってもらう。

ヤコ  1:14-15 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
ヤコブ 5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
2013年5月29日(水) 箴10-12,ローマ10 Tomoko
箴言12・18:軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。

私は元々、「軽率に話して人を剣で刺すような者」でした。冗談半分で軽く言った言葉で、どれだけ人を傷つけたことでしょう。悪気はないんです。
・・・今もそうです。気をつけていないと調子にのって、いらぬ事を言ってしまう。去年NLFCでTRYした、「21日間否定的な事を言わない。」という課題も、未だ全然出来そうもありません。情けない限りです。どうしたら「知恵のある人の舌は人をいやす」ような人になれるのでしょうか。どこかに、「力の限り心を見張れ」みたいなみことばがありましたが、なかなかできないんです。・・・(>_<)

祈り:愛する天のお父様。私の口から発する言葉が、賛美と、人を励まし、いやす言葉に満ち溢れますように、どうか導いて下さい。私には出来ないんです。あなたの力が必要です。私の口と、私の心が、良いもので満ちますように。イエス様の御名によって。アーメン。
2013年5月30日(木) 箴13-15,ローマ11 理佳
2013年5月31日(金) 箴16-18,ローマ12  川和
S】
箴言16章3節、9節。
箴言17章17節。
ローマ12章2節、12節。

【O.A】
ここ最近日々の生活に埋れてしまい、自分の考えが先になって何かが滞ってしまったような気がしていました。
この箇所を読んで、主に委ねる事と神のみこころは何かということ、そして箴言17章17の兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。そしてローマ12章12節望みを抱いて喜び、患難に耐え、耐えず祈りに励みなさい。という箇所が心に残りました。
日々信仰が弱まったり色々あります。高い壁にぶつかると自分の思いに流されてしまうので、前向きに全てを主に委ねて、望みを抱いて神のみこころを思って祈っていきたいと思いました。

【P】
愛する天のお父様、感謝します。
色々ありますが、前向きに全てを主に委ねて、望みを抱いて、自分を捨てていつも祈ることができますように。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
2013年6月1日(土) 箴19-21,ローマ13 Bright
S:箴言19:8 思慮を得る者は自分自身を愛する者、英知を保つ者は幸いを見つける。

O:もっと自分自身を愛しなさい。自分自身のために行動しなさい。自分自身を大切にしなさい。

A:最近自分自身を愛するということを聖書を通して、祈りを通して神様から教わっています。
僕の中では自分自身を愛すとか自分大好きというと、自己中心的であったりナルシストとか、あまりいいイメージではありませんでした。
しかし今回僕が今回学んだのは、「自分自身を愛する≠自分に甘くする」ということ。
自分自身を愛するということはいたわることもそうですが、自分自身を愛するからこそ、自分自身がもっと素晴らしい人間になるために自分自身を律する。厳しくする。ということも含まれるのだと思いました。
自分に甘く、好き放題にさせても将来的にはそれは自分自身のためになっているのだろうか?と思います。また今日の聖書箇所にもあるように、思慮お得るということは、自分にとって最高のプレゼントではないでしょうか。またそう考えたときに、今まで学校などで勉強していたことは誰のためでなく、自分のためであったんだとわかりました。
なのに寝てしまったり、集中していなかったりして時間を無駄にしてしまったことは、お金を払ってくれていた両親にも申し訳ないですが、それ以上に自分にかわいそうなことをしていたなと思いました。限りある時間を無駄に過ごさせてしまって本当に申し訳ないことをしたなと、悪いことをしたなと思います。

なのでこれからは限りある時間を自分のため、人のため、有益につかっていけるようにしたいです。自分自身をもっと愛し、自分自身のために何かしていってあげたいなと思いました。

P:神様、今回デボーションを通してこのような「自分自身を愛す」ということについて学べたことをありがとうございます。これからは自分自身を愛し、またその中で神様を第一にする。神様に従っていくという神様にとってもまた、自分自身にとっても一番いい選択をしていくことができますよう守り、また知識と知恵をお与え下さい。尊き主、イエスの御名によってお祈りします。アーメン。