ニューライフ・ファミリーチャーチは、救い主イエス・キリストに信仰を基づくプロテスタント教会です。

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NEW LIFE FAMILY CHURCHニューライフ・ファミリーチャーチ

み言葉の黙想devotion

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2013年5月19日(日) T列4-5,U歴2,詩101,Uテサ3 裕樹
2013年5月20日(月) T列6,U歴3,詩97,ローマ1 竹村
ローマ書1章29〜32節
彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人とは思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。彼らはそのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけでなく、それを行う者に心から同意をしているのです。

気が付くと自分もアラフォーという言葉が似合う年になってきました。そして色々な人と出会い、又別れ音信不通になっていきます。そして多くの事件や事故を目の当たりし、一喜一憂しています。不思議なことにクリスチャンの知り合いに会うと昔話に花が咲き、何のへだたりもなくよく話ができますが、昔と言っても高校卒業してからの知り合いとはなかなか利害関係があったのか一旦疎遠になると、そのあとどこかで会ってもなかなかうまく咬みあいません。逆に高校の時の友人はいまだに仲が良いと私は思っています。

先日、ある社員が会社を去るという事が決定しました。自己退社なので問題はないのですが、そこにはねたみがあったようで、私に対する事のようです。(本当かどうか本人に私から確認の方法がない)周りからこんなこと言っていたよ、あんなこと言っていたよと話は聞きますがあくまで周りからの言葉で、直接的ではないので、私は知らぬ存ぜぬ、仕事上のかかわりは持ちますが、それ以上はかかわっていません。私の仕事はとりあえず大まかに言えば人助けだと私は思っています。困っている人がいるから何とか最善の方法を考えて手助けできたらなと考えますが、その方にはなかなか理解してもらえず、自己中心的な考えが先行しているように私は思えます。柔軟に考えてそれでも何とかOKか?という気持ちには程遠い結果を私の所に持ってきます。とりあえず、すべて説明してこの状況を理解してもらった上でここまでできないかな〜と打診をしてもできないの一点張りで、なかなか咬みあわない人物でした。野心があったようで、ちょっとした何とか軍団みたいな感じで人を束ねて行くような人物でしたが、気が付くと悪口、陰口をずっと言っているような所があるようで、一人抜け二人抜け、誰も一緒にいなくなったら、新入社員を囲い込むような人物でした。そして最後には誰からも相手にされず、一人ひっそりやめて行く感じです。辛口トークや人の悪口は最初は人の関心を引きます。しかし時間がたつにつれだんだん周りから人がいなくなっていきます。人を引き留めようと内容はどんどんエスカレートしていきますが、結局は人はいなくなります。逆にいつもポジティブで疲れを知らず、周りと明るく話をしていると最初は引かれますが、そういった人のまわりには人が集まるようになります。そして心では逆のことを考えていても、ポジティブな言葉を口からいつも言葉として発するよう努力をすると心も自然とポジティブになっていきます。たまには心の闇にのまれますがやはりそこから抜け出すのは、ポジティブな言葉を口にだすというのが良いようです。皆さんも悪の心にのまれないよう、自分の言葉の発信する力を信じて行きましょう。
2013年5月21日(火) T列7,U歴4,詩98,ローマ2 まゆみ
詩篇98
全地よ。主に喜び叫べ。
大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。
主である王の御前で喜び叫べ。
世界と、その中に住むものよ。鳴りとどろけ。
もろもろの川よ。手を打ち鳴らせ。
山々も、こぞって主の御前で喜び歌え。

世界中が喜びの声をあげる ところを想像する
想像ができる 
ということはきっと実現する

でもちょっとじっと考えてみた
そこで私は叫んでいるか?

まだまだなんか遠慮しちゃって、恥ずかしがっちゃって
みんなが喜びの声をあげているのを
ただ見て
喜んでいるだけなんじゃ

誰かがやるのを待っている
自分じゃない誰かが

私は何を喜んでいる?
私よ
主に喜び叫べ 大声で叫び 喜び歌い ほめ歌を歌え
2013年5月22日(水) T列8,U歴5,詩99,ローマ3 圭希
2013年5月23日(木) U歴6-7,詩135,ローマ4 宇津木
ローマ4:2?3 もしアブラハムが行いによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。


4:18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。


4:20?22 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。


基本中の基本。 でも、常にこの(自分の)信仰を低くせず、日々増し加えていただくのが難しかったりする。 信仰も賜物だから神が与えて下さるのだろうが、ある程度 努力(行い?)も必要だと思う。常に神様に心を向けるには我慢・犠牲も必要と思う。

ヘブル6:12に それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。 とあるので、私はなまけず忍耐しようと思う。
2013年5月24日(金) T列9,U歴8,詩136,ローマ5 鉄&桃
S: ローマ5章3、4節

 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

O: 飛ばすと、患難が→希望を生み出す。「このことを知っている」と言っている。

A: 何度も読んだ箇所だし、デボで分かち合った箇所かもしれないが、自分の御言葉になっていなかった。患難、試練を恐れ、会わないように祈り、抜け出したいと祈っていた。けど、患難、試練は続く。なぜなら、まだ、忍耐すら生み出されていないからかな?(仕事はまあまあ頑張って忍耐しているかな?家族に対してはどうかな?)仕事にせよ、家族にせよ、忍耐を生み出し、そして、練られた品性へステップアップしたい。

P: ですが、忍耐すら自分の力、思いでは難しい時が多いです。聖霊様、助けてください。また、イエス様の御心と僕の思いが同じ方向を向くように僕の思いを変えてください。アーメン。
2013年5月25日(土) T列10-11,U歴9,ローマ6 Bright