ニューライフ・ファミリーチャーチは、救い主イエス・キリストに信仰を基づくプロテスタント教会です。

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み言葉の黙想devotion

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2013年5月12日(日) Uサム21-23,Tテサ1 久保
それらのことは他の人々が言い広めているのです。<テサロニケT1:10>

昨日より、体調が優れず伏せっておりましたが、熱も下がり、ここに記すことが出来ることを感謝します。年齢を重ねる毎に、以前では全く問題にならなかったことが、本当に辛く、厳しくなることが多くなりましたが、老いること、或いは、弱くなることでしか見えないものもあるのではと考え、期待しています。
さて、本日の箇所の『それらのこと』とは、前段に
『私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか』と記されています。つまり、【福音】です。
それらを、テサロニケの教会の人達以外の人達が言い広めているという記述は、【伝道】の目的を全く純粋に表しています。

その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。<マタイ24:36>
その日を待ち望むことは、私達主イエスを信じる者にとっては、希望の中心でもあります。しかし、そうではない人達にとっては滅びの日となります。ですから、【救い】を伝えることは、【滅び】を伝えることとなります。多分、このことが、いずれ、私達にとっての【試練】の原因になるのではと考えられます。主イエスも語られました。

「わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」<マタイ10:22>
私達は、必ずあるがいつであるかはわからないその時を伝えるのです。一般的には(人間の理性的な考えにおいては)、とても理解出来ない愚かなこと、不吉なことを流布する危険分子であるとされるのかもしれません。

「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。」<詩篇22:1>と十字架上で叫ばれた方にとって、この世からも、天からも、見捨てられた苦しみ・悲しみの言葉でした。しかし、その苦しみ・悲しみが、私達の救いの証しでもあります。

子孫たちも主に仕え、主のことが、次の世代に語り告げられよう。彼らは来て、主のなされた義を、生まれてくる民に告げ知らせよう。<詩篇22:30〜31>
苦しみの叫びの言葉で始まる第22篇は、私達の地上においての使命の意味をもって結ばれています。永遠という言葉を信じる私達にとって、私達がこの地にある間にその日が来るか否かは、もはや、何の疑問にもならず妨げにもなりません。私達は『他の人々が』伝え続けられるように、この世にある限り、主の十字架を間近に見た世代から受け継がれてきた大切な【福音】を、次の世代に引き継いでいくことが【使命】であり【希望】なのです。

地の果て果てもみな、思い起こし、主に帰って来るでしょう。また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。
まことに、王権は主のもの。主は、国々を統べ治めておられる。
地の裕福な者もみな、食べて、伏し拝み、ちりに下る者もみな、主の御前に、ひれ伏す。おのれのいのちを保つことのできない人も。<詩篇22:27〜29>

天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。

ハレルヤ!
2013年5月13日(月) Uサム24,T歴21,詩30,Tテサ2 新井
S:T歴代誌21:1
ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。
  Uサムエル24:1
   さて、再び主の怒りが、イスラエルに向かって燃え上がった。主は、「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ。」と、言ってダビデを動かして彼らに向かわせた。

O:何よりも先に、主に祈り伺う。

A:最初、この歴代誌の箇所(サタンがダビデを誘い込んで)と、サムエル記の箇所(主は言ってダビデを動かして)が違っているように思えました。

特にサムエル記の方は主が言ったのでダビデが行ったように書かれています。ダビデは自分の思いの中に(サタンの誘いかもしれないが)人口調査の気持ちがあったのではないか。民数記では、神がモーセに何回も民の数を数えさせたし、ダビデにもその気持ちがあったのではないでしょうか。
でも、サムレエル24:10で、ダビデが良心のとがめを感じた、とあり、歴代誌21:7では、王は神のみこころをそこなった、です。両方ともダビデの決定で行われた結果です。
なぜ咎となったのが分かりませんでした。さすがダビデですね。良心がとがめたのです。つまり神様の御心ではなかったのです。
自分に当てはめると、社会的道徳的に良いこと、常識的(仕事など)に良いことを思いつき直ぐ実行に移すのは、良いことのように見えますが、クリスチャンはまず神に祈り伺い、何が神の命令なのか、何が御心なのかを知って冷静になって実行しなければならないと思いました。

P: ハレルヤ、主の御名をほめたたえます。父なる神様。御言葉をありがとうございます。また、思いと導きをありがとうございます。
御国が来ますように。御心がこの地になされますように。
聖霊さま、この一週間も私の行いと口を守り、導いてください。
私の救い主、主イエス・キリストの御名により、お祈りいたします。   アーメン 
2013年5月14日(火) T歴22-24,Tテサ3 飯塚師
タイトル: 失敗の始まり
御言葉:T歴代22:9 見よ。あなたにひとりの子が生まれる。彼は穏やかな人になり、わたしは、彼に安息を与えて、回りのすべての敵に煩わされないようにする。彼の名がソロモンと呼ばれるのはそのためである。彼の世に、わたしはイスラエルに平和と平穏を与えよう。

この御言葉は父ダビデ王が神様から聞いたことを息子ソロモンに伝えている箇所です。 私たちはソロモンが王様になって、最初は良かったのに途中から偶像崇拝を奨励するようになってしまい、最後には国が二つに分かれるというさばきを受けたことを知っています。その原因はソロモンがイスラエルの周りの国々の女性と結婚したことによります。彼女たちがイスラエルに偶像崇拝を持ち込みました。なぜ、ソロモンはそのような結婚をしたのでしょうか。一つは周りの国々との平和を求めたことです。自分の娘が嫁いだ先の国を攻撃したり、滅ぼそうとする王はいないだろうと考えたことです。実際、ソロモンは栄え、その時代は戦争から守られました。しかし、方法を間違えてしまいました。
 今日の御言葉にあるように、神様がすでに「安息を与える、周りのすべての敵に煩わされないようにする。イスラエルに平和と平穏をあたえよう」と約束の御言葉を下さっていたのに、神様に信頼するのではなく、人間的な方法をとってしまったことです。失敗の始まりは神様の言葉をしっかりと信仰を持って受け取らなかったことです。

今日学んだこと:自分は神様の御言葉を真剣に受け止めているのだろうか。信頼しているのだろうか。ソロモン王のように御言葉を軽く考え、自分の力、知恵で生きていこうとしていないだろうか?
御言葉一つ一つを深く瞑想し、自分のものとして真剣に受け取ろう!!

祈り:イエス様、あなたは私たちにたくさんの御言葉、聖書を下さっています。その言葉一つ一つを真剣に受け止められるように助けてください。
2013年5月15日(水) T歴25-27,Tテサ4 Tomoko
Tテサロニケ4・11-12:また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。

日本では、「クリスチャン」は割と良い印象を持たれていると思います。「きよく正しい人たち」。「クリスチャン=素晴らしい人」
・・・そしてそれは正しいはずなのです。イエス様にある人々なのですから・・・。神様は、イエス様の十字架によって、私たちを「ひとつの罪もない者」として下さいました。だから、私たちは、それに恥じないようにならなければなりません。・・・現実はどうでしょうか?世の人々が私を見て、「なんてきよく正しく素晴らしい人なんだ!さすがクリスチャン/(^o^)\」って思ってくれているでしょうか?・・・ないなぁ〜・・・。

でも、クリスチャンだと証した時から、私たちは見られています。立派だと思われないまでも、せめてつまずかせることのないような生き方を心がけたいと思います。そしてそこに、完全な愛の「神様」が見えるようでありたいと思います。
2013年5月16日(木) T列1,T歴28,詩91,Tテサ5 理佳
2013年5月17日(金) T列2,T歴29,詩95,Uテサ1  さかえ師
歴代誌29:9-14

9こうして、民は自分たちのみずから進んでささげた物について喜んだ。彼らは全き心を持ち、みずから進んで主にささげたからである。ダビデ王もまた、大いに喜んだ。
10ダビデは全集団の目の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたはとこしえからとこしえまでほむべきかな。
11主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。
12富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。
13今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。
14まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。

ダビデが神殿を作るために、「だれか、みずから進んでその手にあふれるほど、主にささげる者はないだろうか。」 と言った時、民は自ら喜んで進んで捧げた。また、全き心を持ち、捧げることが捧げたもののみならず、民全体の喜びとなった。ダビデは主をほめたたえた後に、自ら捧げる力を持っていたとしても結局は、主が与えてくださったものをただ捧げたにすぎないと告白する。

私は、「全き心」という言葉に非常に惹かれる。真実な誠実な混じり気のない純粋な主への心ー二心のない素直な心このような心を持ち、主に信頼しきった者は何と幸いなのだろう。

ダビデの告白のように、すべての尊厳も富も誉れも主にあり、主のものすべてのものの頭、ほむべき方、すべての栄光を捧げ、この方のためにただ、この方のために心砕いて生きていけたら、何と幸いなのだろう

神様、私の心と思いが神の御心にかなうように心を尽くして、主を愛しあがめ、仕える者へと造り替えて下さい
2013年5月18日(土) T列3,U歴1,詩78,Uテサ2 yoshiki
S:詩篇78章5節〜8節
(5節)主はヤコブのうちにさとしを置き、みおしえをイスラエルのうちに定め、私たちの先祖たちに命じて、これをその子らに教えるようにされた。(6節)後の世代の者、生まれてくる子らが、これを知り、彼らが興り、これをその子らにまた語り告げるため、(7節)彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである。(8節)また先祖たちのように、彼らが、かたくなで逆らう世代の者、心定まらず、たましいが神に忠実でない世代の者とならないためである。

O:私たちが受けた恵みを後の世代の者へ与える。

A:私たちが受けた恵みとは“神様の福音”です。生まれながらに神様、イエスのことを知っているひとなんていないと思います。

この箇所ではイスラエルの民と神様の歩みについて取り扱われていますが、その話を何代にも渡って語り継いでいくように主は命じられました。それは6〜7節の「後の世代の者、生まれてくる子らが、これを知り、彼らが興り、これをその子らにまた語り告げるため、彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである。」と書かれています。

私たちが今日、7節のように、神様にあって生きることができているのは、イエス様の弟子たちが後の世代へ、その世代がまた後の世代へとつないできた神様の福音という名のバトンを受け取ることができたところによるものが、大きいのではないでしょうか。

そのなかで聖書が大きな役割を担ったことはいうまでもないですが、聖書であっても、その存在を私たちが知らなければ、教えてもらえなければ、私たちはそのそんざでさえ知ることができなかったかもしれません。

旧約聖書の内容であったらイエス様が生まれるさらにはるか昔からですよね!そのバトンが途中で消えたり、途絶えたりすることなく、今日にまでつながれてきていることに感謝して、

またその恵みを、バトンを後の世代へつないでいきたい。後の世代が8節の「また先祖たちのように、彼らが、かたくなで逆らう世代の者、心定まらず、たましいが神に忠実でない世代の者とならないためである。」と書いてある通り、そのような者となるのでなく7節に書かれているようになってほしい。そして6節のようにそのバトンを、恵みをまた後の世代へつないでいってほしいと思いました。

P:イエス様、いま私たちが神様にあって生きていられることを心から感謝いたします。あなたを知ることができたこと、また知って大きな恵みを受けていることは私たちのこの上ない喜びです。どうか私たちの後の世代がかたくなで逆らう世代の者、心定まらず、たましいが神に忠実でない世代の者となるのではなく、神様にあって祝福された世代となることができますように、私たちが後の世代にバトンを渡す助けをどうか全能の神である主、あなたにお願いいたします。もっと多くの人々があなたの恵みを受けとることができますように。アーメン。