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ニューライフ・ファミリー・チャーチ
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NEW LIFE FAMILY CHURCH

2012年6月25日(月) ヨナ1-4,Ⅱテモ2 新井

ヨナ 4章9節
 今回この箇所が示されました。

 すると、神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」

ヨナ書を読むと、ヨナが神様と、とても親しい関係だと感じます。神様にニネベの町で叫べ、と言われて、嫌だから船に乗って避けて、逃げちゃった。当然ながら神様は分かっていて、海を嵐にしてヨナを海に投げさせ、三日御晩大きな魚に飲み込ませ悔い改めさせました。
ヨナは余程、神様に親しまれ、愛されていたと思う。おそらく、若いときから(そのときが年取っているのか、若いのかは分かりませんが)信仰があり、神様に忠実に従ってきたのではないか。けれども、性格がやんちゃと言うかわがままと言うか自分が気に入らないと反抗する、神様に対しても逆らい、避けたり、不愉快になったり、しょっちゅう怒り(このときは、死ぬほど怒り)、どういうつもりでしょうか。見方を変えれば、自分に対して正直すぎるのではないか。このあと、神様に悟らされるんですよね。
自分に置き換えてみると、恐れ多くてこんなに大胆に神様に言えません。軽々しく話せません。命の問題です。神様にいつでも自分の命を捧げることのできる基盤、覚悟ができていないといけないと。また、自分に対しても我がままでなく正直でありたいと思いました。とても興味深かったです。

祈り
 天の父なる神様、感謝します。神様の御言葉をいつもありがとうございます。自分の我がままでなく、素直に祈ることができますように、きよめてください。この一週間もイエス様の証をしていくことができますように。
私の救い主、主イエス・キリストの御名により、お祈りします。
アーメン

2012年6月26日(火) Ⅱ列13-14,Ⅱ歴25,Ⅱテモ3 飯塚師

御言葉:Ⅱテモテ3:15-17 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

テモテは祖母、母から良い信仰を受け継ぎ、小さい時から聖書に親しんできました。そのことのゆえに、若いときから神様に用いられることが出来ました。

私はクリスチャンホームで生まれ育ったわけではないので、小さい時から聖書が身近にあったわけではありません。しかし、クリスチャンになって30年近くなります。今日の箇所を読んで、果たして、聖書に親しんきたと言えるだろうかと自問しました。

昔は「ふうポンクリスチャン」という言葉がありました。日曜日の朝になると聖書を取り出し、口から息で「ふう」とほこりを吹き払うか、手でほこりを「ポン」と払ってから教会に行く・・・。今はデボーションという生活スタイルがクリスチャンにも定着しているので、そこまでではないにしても、朝だけ、または夜だけ御言葉に触れるという人が多いのではないでしょうか? 忙しいと2,3日分聖書通読箇所がたまってしまい、あわてて読む・・・

聖書は知恵を与えてくれます。正しい教えが書かれています。聖書人物の失敗を通して戒めも与えてくれます。
もっと聖書に親しむ・・・。朝、昼、夜と御言葉に触れるような生活にしたいと思いました。

2012年6月27日(水) アモス1-3,詩80,Ⅱテモ4 Tomoko

Ⅱテモテ4・2 : みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

Ⅱテモテ4・5 : しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。


獄中にいたパウロが、気の弱いテモテを励ますために書いたと言われるこの手紙。主は気の弱い私にも語って下さっているのでしょう。「どのような場合にも慎み」「困難に耐え」「伝道者として働き」「自分の勤めを十分に果たす」・・・どの位出来ているのでしょうか?主が私に望まれている何分の一位でしょう?自分の勤めとは何かしら?・・・改めてよく考えてみたいと思いました。

Ⅱテモテ4・17ー18:しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私はししの口から助け出されました。主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。

主は私たちを助けてくださいます。主に信頼して、私の為すべき事を、主に聞きながらやっていきたいと思います。

Ⅱテモテ4・7:私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

・・・こんな素晴らしいセリフを私が言うことは出来ないと思いますが、こんな風に言えるように生きられたら、本当に素晴らしいですね!

2012年6月28日(木) アモス4-6,詩86,テトス1 理佳

詩篇86:11
主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。

御声を聞きたい。あなたの道を私に教えてください。あなたの真理のうちを歩みたいと祈る。祈ってはいるけれど、、、わたしは何を恐れているんだろう?本当に主を恐れているだろうか?
わたしの恐れているもの。
他人の評価。どう見られているか。変な人に思われたりしないか。
基準が神様でなく、他のものにあるために祈りに集中できない。あなたの道を教えてくださいと言いながら、難しいことは言わないでくださいと思っている。もしくは言われているのかもしれないけど、私の心の中にもう一つの(変な人に思われたくないという)思いがあって気づかないふりをしている。自分自身が大好きで、自分を捨てられずにいる。どうしたら捨てられますか?捨てちゃったほうがきっと楽だって頭では分かっているんですけど。頭で理解しようとしてしまうんです。そんなこと無理なのに。

神様。ごめんなさい。いつも頭で理解しようとしてしまうんです。神様の道を歩みたいと思うのに。自分がとにかく大好きで自分で邪魔をしてしまうんです。どうしたらいいですか?こんな私が自分を捨てることなんてできるんでしょうか?自分を捨てることができるように。まずは祈ります。

2012年6月29日(金) アモス7-9,詩104,テトス2 さかえ師

詩篇104:33,33 私は生きているかぎり、主に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。私の心の思いが神のみこころにかないますように。私自身は、主を喜びましょう。

ここを読むといつも一つの賛美となります。
もともと、みんながよく知っている♫生ける限り主を賛美し
の別バージョン歌詞として、友達が教えてくれました。

つい最近、みことばをそのまま歌詞にして歌っている方の
コンサートに行きました。みことばって本当に力があり、
こんな風にメロディーをつけられるんだと感心し、
自然に覚えられるを知りました。歌いながらみことば告白していけるって、感謝です。

今、まわりでは、少人数のまわりでは、みことばを暗記することがブームになりそうな?もっとたくさん覚えて、神の言葉が生活の中で生きるようにしたいです。

♫私が生きているかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。私の心の思いが神のみこころにかなうように。
我が魂よ、ほめ歌おう、心をこめて、声の限り
我が魂よ、ほめ歌おう、力の限り、たたえよ

いつまでも、いつも、神を賛美できますように
神のみ心の中を歩めますように

2012年6月30日(土) イザヤ1-3,テトス3

イザヤ1:13 もう、むなしいささげ物を携えて来るな。香の煙―それもわたしの忌みきらうもの。新月の祭りと安息日―会合の召集、不義と、きよめの集会、これにわたしは耐えられない。
14 あなたがたの新月の祭りや例祭を、わたしの心は憎む。それはわたしの重荷となり、わたしは負うのに疲れ果てた。

ソドムとゴモラに告げる神様のみ言葉である。しかし、ソドムとゴモラはアブラハムの時代に滅びてしまっている。ここで言う、ソドムとゴモラは霊的な意味のソドムとゴモラであろう。

むなしいささげ物や形式的に行う決められた時期の行事が、もう神様には耐えられなくなってしまったのだ。どんなに素晴らしいささげ物だとしても、神様の前には臭い存在にしか思えないのだ。

なぜ、

簡単に言うと、み言葉を聞いて実行しないからである。神様との関係と自分の生活とは別の観点で見ているからだ。
神様のみ言葉と世の流れとの妥協により、神様のみこころにそれているからだ。
状況や環境によって神様のみ言葉を都合よく曲げてしまうからだ。

韓国に「E・LAND」という会社がある。ユニクロのような会社だ。この会社の目標は韓国で最も税金を多く納める会社になることだ。
クリスチャン会社なので、日曜日の営業を行わない、接待にお酒、賄賂などを持ち要らない等方針がある。
その事業の中で様々な問題を生んで社会問題にもなったり、営業不振もあったが、現在、その理念の元で成長し続けている。
聞こえる情報によると、その清廉潔白をもって中国市場を入り、最初は苦戦したが、現在は中国の全国展開の尊敬される企業の中の一つとなったそうだ。

酒なしで、また、洋服商売なのに日曜日の休みで(中国内ではどうなのかは分かりませんが)、また、毎週月曜日の社内礼拝、教会セミナー、牧師などによる公演等を全社員に行う企業。羨ましい限りだ。
これからもその会社の行方を見守りたい。
そして、自分の人生も世の中との妥協から離れてみ言葉に従えるように。そして、心の苦い根も綺麗になるように主に従いたい。「もう来るな」と言われる前に。

2012年7月1日(日) イザヤ4-5,詩115-116,ユダ きむ

詩篇116:13. 私は救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求めよう。

詩篇116編の著者は定められていない。しかし、ある人はダビデはないかという。
どっちにしろ、詩篇116篇の著者は様々な苦しみの中から救われている。
人生って、いい事ばかりではなく、悪いことばかりでもない。
雨は、善人の上にも、悪人の上にも降り注ぐ。
いつ、誰の上に何が降り注がれても、それはおかしくないものだ。
何で自分だけ、何で今、どうして、と問いかけると出口のない暗闇の洞窟の奥底へ墜落してしまう。

今日の著者は、その中から這い上がって来ている。
そして、彼のいう言葉は「救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求めよう」だ。
何で、こんな苦しみ中に僕を置いたのですかと文句を言うチャンスも有りましたが、著者は主を褒め称えるばかり。

苦しみから抜け出たからこその叫びだろうか。

7. 私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。
10. 「私は大いに悩んだ。」と言ったときも、私は信じた。

いや、苦しみの中でも彼は、主を信じて、自分のたましいに命令している。平安であるように。

今、苦しいのか、じゃ、主を信じて、主を褒め称え、自分のたましいに落ち着け、平安であれと命令しよう。イエスキリストのみ名によって。

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