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| 2012年2月6日(月) |
レビ1-3,使13 |
新井 |
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一年半ぶりにデボーション公開復活です。よろしくお願いします。
今日から「レビ記」が始まり、「使徒の働き」は、13章です。
レビ記 1~3章
特にこの節というのが無く、全体について感じたことを述べさせて頂きます。
出エジプトの終わりのほうは、会見の天幕である幕屋とそれに関する全てのことの詳細について書かれていました。レビ記の1~3章に関しては、主へのささげ物に関しての規定の記述です。1章では全焼のいけにえで、牛の場合、羊の場合、鳥の場合、それぞれの詳細な規定と作法の記述です。2章では、穀物のささげ物の場合の詳細な規定と作法。3章では、ささげ物が和解のいけにえの場合の詳細な規定と作法の記述です。
なんでこんなに細かく決まりがあるのでしょう。ユダヤ教では今でもこのようなことをしているのでしょうか、それとももう少し簡略化しているのかも知れませんが・・・。
イエス様が、このような細かい決まりのすべての代わりに私を(私たちを)贖ってくださったことを痛切に感じました。なんの見返りも無くただ恵みによって救われたことを感謝していることは勿論のこと、イエス様がこられる前は(だいぶ昔ですが)こんなに大変だったのだと、あらためて知らされさらに感謝が大きくなりました。
祈り
天の父なる神様、イエス様による私の贖いを感謝します。また「使途の働き」に書かれている異邦人への伝道による選民と同じ救いの恵みを感謝します。私が日常においていつも感謝をささげ祈りつつ歩んでいくことができるように。また聖霊様によって導いてくださいますように。
イエス様の御名によりお祈りいたします。 アーメン |
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| 2012年2月7日(火) |
レビ4-6,使14 |
さかえ師 |
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S 使徒14:3
それでも、二人は長らく滞在し、主によって大胆に語った。
主は、彼らの手にしるしと不思議な業を行わせ、み恵みのことばの証明をされた。
O パウロとバルナバはイコニオムでも、語り続け、多くの人が信仰を持った。
信じようとしないユダヤ人達は異邦人に働きかけ、悪意を抱かせたが、二人は大胆に語った。
A 彼らが信仰によって事をなして行く時、手にしるしと不思議を行なわせ、彼らの
語っている事の真実さ、宣べ伝えている方の信憑性をたしかなものとした。
たまに、み信者の方に祈る時に、特に物事の解決や、いやしや、何かの合否や成功など
大胆に祈って、そうならなかったらどうしようと思う事がある。
主の真実さ疑ってそう思うのではない。
その方の思い通りにならなかったり, それが み心でない時、その人が神の失望して欲しくない
と思う時がーあるからだ。
決して、揺るがないほど、神のみことばは真実だ。私は、器にすぎず、
ただ、信仰を持って祈ること、結果は神に委ねないといけない。
ただ、祈る時にどう祈ったら良いか神さまに聞いて祈るようには
している。
P 神様のみことばの真理と、その恵みを、豊かにあらわすものになれますように
大胆に信仰を持ってもって祈るものが、多くを得、 用いられていくと信じます |
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| 2012年2月8日(水) |
レビ7-9,使15 |
Tomoko |
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使徒15・32:ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけた。
預言者・・・神様からのことばを取り次ぐ者。ユダもシラスも、神様から預かった多くの「ことば」で、兄弟たちを励まし、力づけました。素晴らしいです。「ことば」って、神様ご自身なんですよね・・・。だから「ことば」にいのちがある。
ヨハネ1・1-5:初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
聖霊の賜物の記述の中でも、「預言することを求めなさい。」と書かれています。神様からの「ことば」、神様ご自身を受け取って、兄弟姉妹を励まし、力づける事が出来るようになりたいと思います。
祈り:愛する天のお父様。私をきよめてください。そしてあなたの「ことば」を受け取ることが出来ますように。その「ことば」によって、兄弟姉妹を励まし、力づける事が出来るように、私を用いて下さい。また、すべての導きの「ことば」を、私が正しく聞く事が出来ますように、聖霊様、助けて下さい。主の導きの通りに歩みたいです。愛する主イエス様の御名によって。あーめん^-^ |
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| 2012年2月9日(木) |
レビ10-12,使16 |
理佳 |
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レビ10:1 さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。
10:2 すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。
10:3 それで、モーセはアロンに言った。「主が仰せになったことは、こういうことだ。『わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現わし、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現わす。』」それゆえ、アロンは黙っていた。
主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。
すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。
主が命じたものではない異なった火を主の前にささげてナダブとアビフは主の前で死んだ。
主が私に命じておられることは何だろう?それを間違えずに従っていきたい。
愛する天のお父様。感謝します。
私に命じておられることを間違えずに受け取ることが出来ますように。ただ、素直に従っていくことが出来ますように。主イエス・キリストの御名によりお祈りいたします。アーメン。
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| 2012年2月10日(金) |
レビ13-14,使17 |
さかえ師 |
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御言葉:使徒17::2 パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。
使徒17章ではパウロがテサロニケ、ベレヤ、アテネの三か所で福音を語ったことが書かれています。パウロにとって福音を伝えることは当たり前のことであり、しなくてはならないことでもありました。
福音を語った結果はいつも二つに分かれます。パウロの語ることを聞いて、信仰に入る人々と迫害したり、あざけったりする人たちです。
学んだこと:反対されることや馬鹿にされることを心配して、福音を伝えなければ誰一人として救われる人は起こりません。私もしなくてはならないことを優先して生活していきたいです。神様が私たちを地上に残しているのは、ただ生活するため(仕事をして稼いで食べ物を得るため)ではありません。神様の願いは一人でも多くの人が救われることです。その一助でもなりたいと思いました。
祈り:天のお父様、一人でも多くの方が救われるために私と私の家族、そしてニューライフ・ファミリーチャーチのメンバーを用いてください。使徒たちの上に聖霊が注がれて大胆にされたように、私たちの上にも聖霊の雨を豊かに注いでください。そして、福音を伝えることが生活の最優先とならせてください。イエス様のお名前によって祈ります。
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| 2012年2月11日(土) |
レビ15-17,使18 |
Brightよしき |
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S:レビ記15章2節「隠しどころに漏出がある場合、その漏出物は汚れている。」
3節「隠しどころが漏出物を漏らしても、あるいは隠しどころが漏出物を留めていても、その者には汚れがある。」
O:隠し事のない人間になろう
A:読み進めていくうちに不安になってきたので父親に聞いてみたところここでいう
「隠しどころ」とは人間の急所の事であり、「漏出物」とは膿(うみ)のだそうで、やっぱり意味をはき違えていたのですが(笑)
でも、ここが示されたと感じたので、この箇所にしました。
さて、隠しごとって誰でも少なからずあると思います。隠すってことは知られると困ったり、恥ずかしかったり。マイナスなイメージがつよいと思います。
そしてなにより隠すのはつらい事だと思います。たとえばほんとの気持ちを隠して平然を装ったり、あとよく聞くのが~の過去を、秘密を背負って生きてきたという話など。とてもつらく、悲しいことだなぁとおもいます。また、何かを隠しながら人と接するとき、後ろめたい気持ちになると思います。それは神様も同じで、神様はすべてを知っておられる方ですが、自分の気持ちとして隠し事のない状態で神様に接することができればそれが一番いいことなのではないかと思います。やっぱり隠し事のない、すべておおっぴらげなほうが楽だし、健康的なんじゃないか思いました。
P:神様私たちは人に知られたくない問題や、悩みなどの隠し事を持っています。しかしどうかあなたがその一つ一つを解決してくださり、
隠し事のない健康的な人間へと作り変えてください。イエス様の皆によってお祈りします。アーメン。 |
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| 2012年2月12日(日) |
レビ18-19,詩13,使19 |
金 |
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詩篇13編 「主よ。いつまでですか。」
これは自分の祈りの題の一つであります。自分の人生の花咲は?そして、我が家系が経済的な面において、霊的な面において自由になる日は?いつですか?
そして、今の現状はいつまでですか?と
だけど、今を完全に嘆いたり、悲しんだり、苦しんだりしているわけでもありません。ある程度、自分なりにいい線を言っているとも思っているのです。
そう思いながらも、心の片隅には、「もうちょっと自由になりたい。社会的な成功の味を味わいたい。」との願望があるのです。
ダビデとは置かれた環境は違いますが、霊的な部分では通じる所があるようです。彼の嘆きは5節からは賛美と変わります。
自分の人生も祈りも同じように、嘆きがあるかも知れませんが、結局は感謝と賛美で閉めたいと思います。
神様の導き、働きは決して断ち切られるものではないことを知っているし、僕に最も良いものを用意して僕を待っておられることを知っているからです。
我が心が常に主との交わりの中で、主の動きに共に反応出来ることを願います。 |
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