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2012年1月30日(月) 出エジ25-27,使6 竹村

使徒6章15節
議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は見使いの顔のように見えた。

ステパノはこの章で教会での配給の手伝いをする人間に任命され、本当に良い仕事をしたのでしょう。ある一派から濡れ衣を着せられ最後には肉体の死にまで追いやられてしまいます。しかしどんな窮地に追いやられても信仰から離れないで神様に忠実に従い、肉体の最後まで神様の事を伝えたのはすごいと思いました。
彼は教会史上初めての殉教者だそうです。また、十二使徒ペテロの弟子でもあったようです。

私はこのような信仰はありません。しかし少しでも近づきたいと思いました。
私はステパノの名前こそ覚えていましたが、どういった人かというのはあまり知りませんでした。今回初めてクローズアップしてみました。
7章の方が内容をよく書いてあるので、そちらの方をじっくり読んでいただければよくわかります。
あまり長く書かれている人物ではないので、短くあまり情報量のない人物ではありますが、すごい人だったというのがすぐにわかる方でした。

祈り
ハレルヤ愛する天のお父様、私には人に神様のことを伝える知識も知恵もありません。しかしいつも私を助けてくださって何かしらの答えに導いてくださっている事を本当に感謝します。もっと力強くもっと多くの人に伝える勇気と知恵と知識を与えてください。イエスキリストの御名によって祈ります。
アーメン

2012年1月31日(火) 出エジ28-29,使7 真由美

出エジプト28:28胸当ては、青ひもで、その環のところをエポデの環に結びつけ、エポデのあや織りの帯の上にあるようにする。胸当てがエポデからずり落ちないようにしなければならない。

ずりおちないように だなんてとこまでの配慮というか、細かい指示というか、デザイナーもびっくりというか、まあずり落ちてるところを想像すると確かにおかしいのだが(ずっこけたまんがみたい)、正しいものを正しい位置に保つための知恵や工夫までが与えられている。へえと思った。
:15さばきの胸当てを巧みな細工で作る。
あの糸とこの糸とそっちの糸で編んでつくる。
私たちは新約で「正義の胸当て」と学んだ。ここでは正義の胸当てと書いてある。正義とは辞書では「人が行なわなければいけない正しい道理。正しい意義解釈。と書いてある。正しい道を心に決め込んでそれがずり落ちないようにしなくてはいけないということだ。

 少し前に新聞のコラムで「正義の妄想」というのがあった。ものごとは公平に釣り合いがとれていなくてはいけないという強迫観念を正義というと。釣り合いがとれていないといらいらするし(自分がこうしたのだからあいてはこうしてくれるべきだ など)、そう思うちょっと間違った正義感を妄想だと気づくことができればお互いのためだというようなことが書いてあった。(ん~ちょっとはしょりすぎてうまく伝わらないもやもやあり)
 自分の正義感なんて基準は自分だし、じぶんの中で勝手に解釈していらいらしていることも多く、事実を知らないだけ自分の願いを押し付けてるだけと後から気づくこともあり、役にたたないと思うことも多い。神様基準の正義が一番正しくて必要なことなので、私たちがつけるべきは神様の胸当てだが、その時その時に応じてきっと答えは一つじゃないかもしれない。
 だからあの糸とこの糸とそっちの糸で編んでつくらなくてはならないんだと思った。実はこの新聞のコラムはあるおぼうさんが書いている。なるほどねと思ったのでその記事は切り抜いてとっておいたのだが、聖書の中ででてくる正義の胸当ての一本の糸となりそうだ。色んな糸で神様の胸当てを完成させたい。そしてそれがずり落ちないように  

青いひもはどれだ?

2012年2月1日(水) 出エジ30-32,使8 きむ

出エジプト記32:14. すると、主はその民に下すと仰せられたわざわいを思い直された。 

32. 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら―。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」 

モーセは、
4:10. モ-セは主に申し上げた。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」 
のように、語るより、行動が先に立つ人だった。だけど、彼は神様と歩むうちに神様に意見を言う立場、民に神の憤りで叱れる人となっている。
そして、その民族を隠れて助けるより、自分の命をかけて守る存在になっている。

モーセは、もう肉の人ではなく、霊の人となったのだ。そして、神様の使命に従い、その民を神様の用意されたカナンに導くリーダーとなっているのだ。
肉の働きは、最初はうまくいくが、結局には肉によって閉ざされる。しかし、霊の働きは決してうまくいきそうもないのが、結局には素晴らしい結果として実を結ぶ。
今日のモーセは、神様に自分の民のためにとりなし、そして、自分の命をかけてお願いをしている。ユダヤ民族のために神様のいのちの本から自分の名前を消してくださいと。

じゃ、今現在この場所において、私たちは主によって自分の民族を任されている。イエスキリストの救いのために私たちはこの地に生まれ、生活している。イエスの光、塩の役割を担うために。
自分の命をかけてこの民族のために祈れるか?
イスラエル民は決して良い民でもなかった。隙間さえあれば文句を言い、偶像礼拝に走り、罪に流れていた。今日のこの地にも同じような状況である。
彼らのために自分の命をかけられるか?

ある意味自分が平安でいられるためにも、実は民族のために、国のために、政治家のために、経済のために、社会のために祈る必要がある。
そして、自分が属している町、学校、会社等のためにも祈る必要がある。
主よ。日本を慰めください。憐れんでください。赦してください。
私たちはこの国のために立てられたモーセである。

2012年2月2日(木) 出エジ33-34,詩16,使9 宇津木

《主の栄光(光)》 

出34:29 彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。 

詩篇16:2 「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」 

使徒9:3 ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。 

栄光を辞書で見ると“幸いを表す光” 

主の栄光は、文字通り“強烈な光”で現れる事があり、私達には持ち合わせていない物。
主の栄光のために・主に栄光がお返しできるように・主の栄光により・・・
よく、使う言葉だが、本当に理解しているのか?と思いました。 
そして、もし主の栄光に会ってしまえば、生きている事ができない神聖なもの。親しい関係を結んで下さいましたが、けっして私達人間と同じ思いでは無い神。 自分の思いが主になるべく近いものと変えられますよう。

2012年2月3日(金) 出エジ35-36,使10 鉄&桃

S:出エジプト35章5節~10節
 
 あなたがたの中から主への奉納物を受け取りなさい。すべて、心から進んでささげる者に、主への奉納物を持って来させなさい。すなわち、金、銀、青銅、青色、紫色、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、燈油、そそぎの油とかおりの高い香のための香料、エポデや胸当てにはめ込むしまめのうや宝石である。あなたがたのうち心に知恵のある者は、みな来て、主が命じられたものをすべて造らなければならない。

O: 捧げる時は心から捧げ、受ける時は、責任を持ってやる。

A: 献金、祈り、感謝、食事、時間、安息日、行動・・・。ほとんど、心から捧げていない。進んで捧げられるようになりたい。そして、自分の奉仕も誰かしらの奉仕によって成り立っているので、もっと責任を持ってやらなければいけないと感じました。

P: 高慢な心をへりくだらせてください。責任感と行動力、自制心を与えてください。いつも聖霊様が共にいて下さっていることを感謝します。アーメン。

2012年2月4日(土) 出エジ37-38,詩19,使11 ゆかり

使徒11:21
そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。


私がイエス様のみことばを伝える事によってたくさんの人が救われるかもしれない。

でも私は周りの目が気になってしまい、みことばを伝えるどころか、クリスチャンということも言えない時がある。

私はほんとにイエス様の事を伝えようとしているのか。と疑問に思った。


天の神様
私の不信仰な心を許して下さい。 周りの目など気にならないように、誇りをもってクリスチャンだと言えるように、助けて下さい。たくさんの人があなたの事を知り、1人でも多くの人があなたを信じれるように、あたしを用いてください。

2012年2月5日(日) 出エジ39-40,詩15,使12 久保

こうして、モーセはその仕事を終えた。<出エジプト記40:33>

モーセはひとつの大きな仕事を終えました。イスラエルの民をエジプトから導き、十戒を主より受け、聖所としての幕屋を建て上げ、祭司に対する指示をしました。そして、それらは、『主がモーセに命じられたとおりで』した。
第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた。<40:17>
その仕事を終えたのは、葦の海を渡ってから一年経った頃でした。幕屋が建てられてから、この後、実に約40年間、モーセは民と共に彷徨よい、最終的には、ヨルダン川を渡ることは出来ませんでした。
主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」<民数記20:12>
『主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。』<33:11>というモーセでさえ、一回、主に栄光を帰すことが出来なかった為に、約束の地に入ることが出来ませんでした。まるで、この後の40年間は、その時の会衆がすべて地上の命を終えるのを、モーセが見届ける為にあったかのようです。
私自身は、以前はこのことに関して、神の厳しさと不信仰への戒めであると重く受け止めていた気がします。もちろん、大切なことではあるとは思いますが、しかし、幕屋を建て上げた後、主のこの会衆を導き入れることはできないという仰せに対して、40年間従い続けることも、大きな仕事・使命ではないかと今は強く心に思っています。それは、神が思い直してくださるという自分の視点ではなく、神への完全服従を最優先する姿であり、その過ちにより、彼らは結果として、自分の境遇に左右されない揺るがない信仰を得ることを可能としたのではないかと思われるからです。
幕屋の中の設備、器具等の製作に、大いなる力を発揮した『知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊』<31:3>に満たされたベツァルエルや、オホリアブ、そして、アロン、ミリヤム等が、約束の地に入ることが出来ませんでしたが、彼らは過ちにより、その後、地上の命の終わりまでの主への完全な従属を手に入れたのです。
私達は主からの信仰の恵みを頂いても尚、完全ではないし、みこころに従えないことも多くありますが、そんな私達でさえも見棄てられることなく、使命を与え続けてくださるということも、実は大きな愛なのではないでしょうか。
主は、人からの栄誉を受けることもある見た目の大きな使命を私達に与えられるかもしれませんし、全く人には評価されない小さな使命を継続することを望まれるかもしれません。又、その使命は大いなる喜びを人に与えることかもしれませんし、自分達が試練にじっと静かに耐えることかもしれません。聖霊の導きにより、それらすべてを神からの使命であるという認識が常に出来るようになった時、私達はパウロのように真から語り、叫ぶことが出来るのかもしれません。
乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。<ピリピ4:13>

ただ、私達には、それが与えられるのは地上の命がある時かもしれないし、もう地上の命は終わった時かもしれませんが、信仰により、モーセやアロンらと共に、大いなる望みを持ち続けることが可能なのです。

この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。
神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。<ヘブル11:39~40>

御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
ハレルヤ!

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