デボーション

感想・意見・質問はこちらへ


   
2016年9月4日(日) エゼキ22-24,黙9   過去のデボーション

2016  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2015  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2014 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2013 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2012 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2011 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2010 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2009 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2008 8 9 10 11 12

 
 

 
2016年9月5日(月) エゼキ25-28,黙10 久保  

 
それから、私の見た海と地との上に立つ御使いは、右手を天に上げて、永遠に生き、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方をさして、誓った。「もはや時が延ばされることはない。」<黙示10:5~6>

その時、私は「もはや時が延ばされることはない。」という言葉に対して、どう感じるのでしょうか?例えば、一般的には自分が楽しみにしている事であれば、とても喜びに満ちた状態となるのでしょう。しかし、自分が苦しみを味わう事であれば、恐怖におののくことでしょう。
これは、地上へのさばきの時の事です。

私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」<6:9~10>
殉教者は、その時を望んでいるようです。

地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」
<6:15~17>
神を知らない人達は恐れて、その時が去る事を望んでいるようです。

これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。<9:20~21>
何とか、その災いから逃れた人々は、悔い改めることもなく、神に恐れを抱くわけでもなく、その前と何も変わらない生活に戻ります。
実は、私自身も信仰の恵みを受け取りながら、主を知らない人と同様に、苦しみの前には恐れおののき(ただし、それが一刻も去るように主に願うのですが)、苦しみが去った瞬間、何も無かったように元の生活に戻るのです。(ただし、主に苦しみが去ったことを感謝はするのですが)

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。
<マタイ24:22>
主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。<マタイ24:50>
目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。<マタイ25:13>
「思いがけない時に来る。」=いつ来るかわからない状態と「もはや時が延ばされることはない」=すぐに来ることがわかっているという状態では、その場に臨んだ人の行動レベルで大きな違いが出ます。いつ来るかわからない時、常に備えようと行動する人、いつかは来るだろうがしばらくは来ないと考え備えを遅らす人、いつ来るかわからないとはそもそも来ないのではないかと考え、全く備えをしない人にほぼ分かれるのではないでしょうか?信仰の人の行動は、いつ来るかわからない時も、すぐ来るのがわかっている時も変わらず、それに備えている人なのかもしれません。

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。<ペテロⅡ3:9>


天にいます我らの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。
みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人達を赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪から救いください。ハレルヤ!
 

 
2016年9月6日(火) エゼキ29-32,黙11 まゆみ  

 
エゼキエル29:20彼が働いた報酬として、わたしは彼にエジプトの地を与える。彼らがわたしのために働いたからだ。

戦いによって頭ははげ、肩はすりむけボロボロになったのにその報いがなかったから、わたしがそれにむくいよう と神様は言われる。

自分の特にならない戦いはしない。避ける。・・・逃げる。
神様のためと思っても神様の御心と思っても
私はヨナのように逃げてしまう。
だってやりたくないんです と。
戦いが終わった時、バビロンの王は何と思っていただろう。
ボロボロになってあー疲れたーくたびれ損だーと思ったのか
それとも自分はボロボロだけど神様が喜んでくれるならいいやーと思ったのか。
神様は心を見ておられる。
彼はわたしのために働いた と知っている。

人の目には見えない働きも、神様は全て知っている。
自分の見栄のために働くのをそろそろやめないか。そう言われている気がした。
 

 
2016年9月7日(水) Ⅱ列25,Ⅱ歴36,エレミヤ40-41,黙12 飯塚師  

 
 

 
2016年9月8日(木) エレミヤ42-44,詩48,黙13 Tomoko  

 
 

 
2016年9月9日(金) 哀1-2,オバデヤ,黙14 新井  

 
 

 
2016年9月10日(土) 哀3-5,黙15 さかえ師  

 
S哀歌3:22、23
22
私たちが滅びうせなかったのは、
主の恵みによる。
主のあわれみは尽きないからだ。
23
それは朝ごとに新しい。
「あなたの真実は力強い」

O滅んで当然のものを主はあわれみ生かしてくださる。
そしてそのあわれみ、恵みは日々注がれる

A私たちは日々、過ちや罪を犯す。
悪い思いを持ち、主に従えない。
完全である方は神のみなので、わたしが完全にできないのはわかっている。
でも、あまりの不従順に口先だけの信仰で自分に嫌気がさすこともある。

十字架による罪の贖いに最大級の感謝を捧げる。と同時に、日々注がれる主の恵み、あわれみがなかったら、
とっくに落第し主から離れたか、
罪の虜になっていただろうと思う

日々弱さがあり、日々自分の罪の性質を知る。日々哀れみと恵みがあり
生かされていることを知る

P神様感謝します
朝注がれるもの、又真理を
フレッシュなうちに受けて、1日その
恵みを味わうことができますように
夜で無く、朝主との時間を取れますように、作り変えてください、助けてください