デボーション

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2016年8月14日(日) エレミヤ16-17,詩96,ヨハネ16   過去のデボーション

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2016年8月15日(月) エレミヤ18-20,詩93,ヨハネ17 久保  

 
私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。<エレミヤ20:9>

信仰の恵みを受け取る前は、最終的に自分に有利になるように言葉を選んで、話しました。ただし、それが、必ずしも自分だけでなく、当該者にとっても良いことの場合も少なからずありました。WIN-WINの関係とは、自分だけでなく当該者にとっても、満足出来る関係です。しかし、当該者以外の人はどうであるかについては、関与しないのです。
しかしながら、信仰の恵みを受け取った後は、最終的には自分が不利になるから、黙しておこうと思っても、口が開いてしまう場合があります。時には、それが事実であったとしても、明らかに当該者を傷つけるであろう事さえ、断言してしまいます。

主よ。あなたが私を惑わしたので、私はあなたに惑わされました。あなたは私をつかみ、私を思いのままにしました。私は一日中、物笑いとなり、みなが私をあざけります。私は、語るごとに、わめき、「暴虐だ。暴行だ」と叫ばなければなりません。私への主のみことばが、一日中、そしりとなり、笑いぐさとなるのです。<20:7~8>
エレミヤは、もっと、切迫したものでした。時の権力者の前で明らかに、彼らを不快にする言葉を語らなければなりませんでした。自分の命さえ危機的な状況です。肉体的な責めも受けています。にもかかわらず、その言葉を内側にしまっておくことが不可能でした。

なぜ、私は労苦と苦悩に会うために胎を出たのか。私の一生は恥のうちに終わるのか。
<20:18~19>
エレミヤは苦悩の中にいます。

まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。 <詩篇73:1~3>
たとえ、敬虔な信仰者であっても、他人を見て、相対的に自分と比較判断した時、全ては理不尽に、正義は忘れ去られたかのように感じてしまい、失望してしまう時もあるのです。

彼らの死には、苦痛がなく、彼らのからだは、あぶらぎっているからだ。人々が苦労するとき、彼らはそうではなく、ほかの人のようには打たれない。それゆえ、高慢が彼らの首飾りとなり、暴虐の着物が彼らをおおっている。彼らの目は脂肪でふくらみ、心の思いはあふれ出る。<詩篇73:4~7>
私は一日中打たれどおしで、朝ごとに責められた。もしも私が、「このままを述べよう」と言ったなら、確かに私は、あなたの子らの世代の者を裏切ったことだろう。私は、これを知ろうと思い巡らしたが、それは、私の目には、苦役であった。<詩篇73:14~16>
人への妬み、憎しみの言葉は、溢れるばかりに、湧き出るかのように、口から出ますが、それらは、逆に自分をより深い苦しみへと誘うのみです。しかし、主は、突然、個人の内側に介入されます。

私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。<詩篇73:21~23>
この信仰者の周囲での事実、現象は、実は何も変わっていないのです。主の介入は何を見るのかという点での強烈な導きを与えて下さり、信仰者は内側から叫びます。

私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。<詩篇73:28>

天にいます我らの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。
みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人達を赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪から救いください。ハレルヤ!
 

 
2016年8月16日(火) エレミヤ22,Ⅱ列24,詩112,ヨハネ18 まゆみ  

 
 

 
2016年8月17日(水) エレミヤ23,25,ヨハネ19, 飯塚師  

 
タイトル:愛するがゆえにたびたび警告される神
御言葉:エレミヤ25:4-26 また、主はあなたがたに、主のしもべである預言者たちを早くからたびたび送ったのに、あなたがたは聞かず、聞こうと耳を傾けることもなかった。・・・ ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。そうでないと、わたしもあなたがたにわざわいを与える。

神様は本来災いを与える神ではなく、愛と祝福の神です。しかし、神の言われたことを守らず、たびたび警告されていたにも関わらず聞く耳を持たなかった民に対しては災いを与える神となりました。
 他に災いを与える存在がいます。神様まで災いを与えることになったら、どこに救いがあるのでしょうか。 自己中心の考えや欲望が彼らの耳をかたくなにしてしまいました。
 やわらかい心と聞く耳を失わないようにしたいです。今は預言者だけでなく、いろいろな方法で語ってくれます。日々のデボーションもその一つです。毎日ちゃんと向き合いたいです。

祈り:天のお父様、あなたは様々な方法で語ってくださいます。聞く耳、やわらかい心で日々、あなたからの御言葉をいただくことが出来ますように。イエス様のお名前によって祈ります。
 

 
2016年8月18日(木) エレミヤ26,35-36,ヨハネ20 Tomoko  

 
 

 
2016年8月19日(金) エレミヤ45-47,詩105,ヨハネ21 新井  

 
 

 
2016年8月20日(土) エレミヤ48-49,詩67,Ⅰヨハ1 さかえ師  

 
S詩篇67:1
1
どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。  セラ


Oただただ主のあわれみによって生かされている


A家族旅行を全員でできるのはもう中々ないと思って、思いきって台湾旅行中。
着いてすぐに思わぬアクシデントーきっと礼拝でまた明かしするでしょうーにみまわれ、敵の攻撃を縛るとともに、この旅行についてもっと祈るべきだったと家族全員で悔い改め、主にあわれみと祝福をお願いした

そう祈れる幸いー神様を見上げることができること感謝だ。家族全員の海外旅行ー母親としてハラハラドキドキ、胸を締め付けられるほど心配もした

今このデボーションを書いてる最中も、飛行機の不具合でフライトが9時間遅れー空港にいて過ごしている

主にあって全て感謝できることに感謝ーたとえ自分の心は戦いをいどみNOと言いたくなるときもー私の理性は主を信頼しようとする

P主よ、これからもお願いします