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2016年8月7日(日) ゼパニヤ1-3,ヨハネ9   過去のデボーション

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2016年8月8日(月) エレミヤ1-2,ヨハネ10 久保  

 
わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。<ヨハネ10:27~28>

信仰において、とても、自分自身を弱く感じることがあります。というより、実際に私の信仰は弱いのです。不安や怯えに苛まれ、希望を失いそうな時は少なくありません。
しかし、それはあくまでも私の事であって、主の力に対しては何の干渉も出来ないのです。
弱い私に対して、主が主の声を聞き分けますと断言しています。
弱い私に対して、主が私を知っていると断言しています。
弱い私に対して、主が主についていくと断言しています。
弱い私に対して、主が永遠のいのちを与えると断言しています。
弱い私に対して、主が私は滅びないと断言しています。
弱い私に対して、主が主の手から奪い去ることはないと断言しています。
私がどういう状態であろうと、弱い強いにかかわらず、信仰を持っている限り、主がそうして下さるのです。

彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」
<6:28~29>
私が主イエスを信じること、それすら神のわざであると主は言われます。確かに、私が成し遂げたものは何一つなく、ただ、主よりの恵みを受け取ったのみです。

一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。<ヘブル6:5~6>
天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となっても、堕落してしまう者がいる事が別の箇所に記されています。つまり、私自身もそうなってしまう可能性が無いとは言えません。しかしながら、優柔不断で、弱い私ではなく、主が言われているのです。
『わたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。』と。

「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」<マタイ19:26>
私以外のどれだけ多くの人が思おうと、私がどう思おうと、主イエスがそうして下さると宣言されているのです。結局、私が信仰を受け取った瞬間から、それは約束されています。

罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。<ローマ8:34~39>


天にいます我らの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。
みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人達を赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪から救いください。ハレルヤ!
 

 
2016年8月9日(火) エレミヤ3-4,ヨハネ11 まゆみ  

 
エレミヤ3:22背信の子らよ。帰れ。わたしがあなたがたの背信をいやそう。


わたしはどのようにしてあなたを息子たちの中に入れ
あなたに慕わしい地
諸国のうちで最も麗しいゆずりの地を授けようかと思っていた
またわたしは
あなたがわたしを父と呼びわたしに従ってもう離れまいと思っていた
ところがなんと
妻が夫を裏切るようにあなたがたはわたしを裏切った
イスラエルの家よ


もうこの時の神様の気持ちになっちゃったら涙がとまらない

どこに連れて行ってあげようかな
こうしたら喜んでくれるかな
どうしたらわたしの愛が伝わるかな
そんな風にワクワクしていたのに

でも神様は言う
戻っておいで
大丈夫だよ わたしの愛は変わらないよ


私がどんなに間違っちゃっても
私がどんなにへそをまげても
わたしがどんなにつまづいても
神様の愛は変わらない

神様を悲しませることだけはしたくないな
 

 
2016年8月10日(水) エレミヤ5-6,ヨハネ12 飯塚師  

 
タイトル:神様の関心は永遠の命
御言葉:ヨハネ・・・わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。(中略) 12:50 わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。・・・

ヨハネ3章16節からの御言葉と重なるところがあります。イエス様は私達を愛するがゆえに、永遠の命を与えたいがゆえに十字架にかかられました。イエス様を信じる者は一人として滅びることなく永遠の命を持つことができると書かれています。

神様の関心は人の地上での幸福、繁栄よりも永遠の命です。もちろん不幸になることを望んでいるわけではなく、私達が神の命令を守り幸せになることも望んでいます。しかし、一番の関心は永遠に神様と過ごせることです。永遠での生活です。
神様が救われていない人、間違った教え、宗教にとらわれている人をどれだけ愛されているのか、その状態を憂いているのかを知り、神様の代わりに接する者となりたいです。その人々のために祈り行動していきたいです。

祈り:天のお父様、私達の周りには永遠の命に預かっていない人々がたくさんいます。それらの人々のためにあなたが私にして欲しいことを実行できるように助け導いてください。イエス様のお名前によって祈ります。
 

 
2016年8月11日(木) エレミヤ7-9,ヨハネ13 Tomoko  

 
エレミヤ9・23-24
 主はこう仰せられる。
 「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。
 つわものは自分の強さを誇るな。
 富む者は自分の富を誇るな。
 誇る者は、ただ、これを誇れ。
 悟りを得て、わたしを知っていることを。
 わたしは主であって、
 地に恵みと公義と正義を行う者であり、
 わたしがこれらのことを喜ぶからだ。
 ――主の御告げ――

「悟りを得て、主を知っている。」
ここに辿り着けた事は、素晴らしい恵みです。
世の中には、富もあり学識も地位も名誉もあるのに、一番大 切な「主」を知らない人達が沢山います。
私達は、いずれこの世を去ります。その時に必要なのは「主」だけ。
他のものは何の役にもたちません。
「悟りを得て、主を知っている。」 感謝です。

エレミヤ7・22-23
わたしは、あなたがたの先祖をエジプトの国から連れ出したとき、全焼のいけにえや、ほかのいけにえについては何 も語らず、命じもしなかった。
ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしは、あなたがたの神となり、 あなたがたは、わたしの民となる。あなたがたをしあわせにするために、わたしが命じるすべての道を歩め。』

「悟りを得て、主を知っている」私達に、主が望まれるのは、主のみ声に聞き従う事。
私達は、みことばを読んで従い、祈って主のみ声を聞き、主と共に歩むことに努めたいです。
 

 
2016年8月12日(金) エレミヤ10-12,ヨハネ14 新井  

 
 

 
2016年8月13日(土) エレミヤ13-15,ヨハネ15 さかえ師  

 
Sヨハネ15:2
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。


O実を結ぶためには刈り込みが必要
実を結ばないから刈り込まれるのでなく、実を結んでいるからもっと実をならすために刈り込まれる
神様は実を結ぶものに対して貪欲だ。
悪いことをしたとか、罰のためでなく、
良いことのために痛い目にあう。

A刈り込みは植物的には、
良い実をならす部分を残し、そうでないものを切り取る。
切り取って捨てることによって、
切り取らないときより、実を結ぶ
自分にとって大事だと、必要だと思っている、捨てがたい惜しいと思っているものを捨てないと、本当に良いものが残っていかない。

切り取る部分に行く養分もさらに吸収して良くなる。さらに私の中の良いものー実がなっていくには、不必要な部分へのエネルギーや時間を実を結ぶ事に集中させるべきなんだ

P神様、あなたの刈り込みを受け入れます
従えますように
もっと多くの実、それも質の良い、美味しい実をならせることが出来ますように
そしてさらに、その実は発酵し香りも味も
人を潤すものとなりますように