デボーション

感想・意見・質問はこちらへ


   
2016年1月31日(日) 出エジ28-29,使7   過去のデボーション

2016 1 2 3 4 5 6

2015  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2014 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2013 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2012 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2011 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2010 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2009 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12

2008 8 9 10 11 12

 
数字40

 聖書での40という数字は、鍛錬、試練、訓練を意味します。ノアの洪水が40日間、モーセの断食40日、イスラエルの荒野での生活40年、コリヤテによるイスラエル侵攻40日、イエス様の40日断食などで分かります。
 また、40というのは準備、完成と成就の期間を意味します。ヨナのニネベの人々への預言「40日後には滅びる」、サウロ、ダビデ、ソロモンはそれぞれ40年間イスラエルを治め、イエス様の復活後の40日間の地上生活。

 40は、様々な場面においてその力を発揮するのが分かります。今の教会の節義の中で「四旬節」というのがあります。イエス様が復活されて40日間を記念するものです。
 そして、それにちなんで教会では「40日間祈り会」、「40日断食」などを行ったりします。

 また、モーセは40歳までエジプトの宮で育ち、その後40年間を牧者として過ごし、40年間を神様の使いとしていきました。

 40というはとても不思議な数字ですね。東洋では40歳を「不惑」とも言います。確実に自分の生き方が決まり、なかなか誘惑に負けることのない歳という意味です。
 人が40日、40年をどう生きるかによって、その後の人生がカランと変わるというのです。

 私たちとしての40日、40年はどんなものでしょう。人生の苦しみを乗り越えて、向こう先に見える天国へ真っ直ぐに歩いているのでしょうか、それではなければ左に右に、右往左往しながら一応先進しているのでしょうか?

 自分の中の40を刻むときがそろそろ来たようです。
 

 
2016年2月1日(月) 出エジ30-32,使8 久保  

 
使徒たちが手を置くと御霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、「私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい」と言った。
<使徒8:18~19>

シモンは、もともと、怪しげな魔術師でしたが、ピリポの宣教によって、信仰を持っていました。
シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇蹟が行なわれるのを見て、驚いていた。<8:13>
彼の目は、『しるしとすばらしい奇蹟』に奪われていました。彼の信仰は、その『しるしとすばらしい奇蹟』によって、神よりの恵みとなったのです。そして、その力が欲しいと思ったのです。彼にとって、一番大切であると考えていたものを差し出しても、それが欲しいと思ったのです。
ここまでのシモンの行動は、正しくないのでしょうか?一般的には正しく、何の批難を受ける理由もないように思われます。
しかし、ペテロはシモンに厳しい言葉を投げかけました。

ペテロは彼に向かって言った。「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。あなたは、このことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。だから、この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。あるいは、心に抱いた思いが赦されるかもしれません。あなたはまだ苦い胆汁と不義のきずなの中にいることが、私にはよくわかっています。」<8:20~23>
ペテロは戒めと共に、祈ることを薦めました。ペテロにとって、もしかしたら、シモンは好ましい人ではなかったかもしれませんが、神が赦される可能性を否定することはありませんでした。少なくとも、その内側の心、考えに対しては、強く戒めても、あるいは批難しても、決してその人を否定しないこと、ここに愛の本質を見るような気がします。
ペテロは信仰を告白したシモンが、信仰という意味で決定的に不足している部分を見て、彼が真の信仰を神からの恵みとして受け取るように導いたのです。

シモンは答えて言った。「あなたがたの言われた事が何も私に起こらないように、私のために主に祈ってください。」<8:24>
この後、シモンがどうなったかはわかりません。しかし、この事は信仰が最終的には、神と個人の問題に帰結することを示しています。偉大な使徒の力を持ってしても、伝える者の権威ではなく、信仰は、個人と神との1対1の関係に依存するということです。とすると、神に不可能なことはないので、結果として、信仰は神の恵みであり、神の選びであるとも言えるのかもしれません。何とすばらしいことでしょうか?
そして、もう一つの側面として、信仰が深くなる過程においては、必ず試練があるという事です。何故なら、信仰とは正に、それまで培ってきた価値観の否定と、神の価値観への絶対依存することであるからです。シモンもそれを求められました。

彼らはその町で福音を宣べ、多くの人を弟子としてから、ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言った。<14:21~22>
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。<コリントⅠ10:13>
私達は苦しい時、試練の時、求める方を知っているのです。

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
<ヤコブ1:2>

天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。
みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人達を赦しました。
 

 
2016年2月2日(火) 出エジ33-34,詩16,使9 まゆみ  

 
詩篇16:8
私はいつも、私の目の前に主を置いた。主が私の右におられるので

わたしの心は喜びでいっぱい


あれ。最近これ読まなかったっけ。
先週のデボーションだ。先週の担当箇所だ。
読むところ間違えたか。いや違う。先週の箇所は使徒2章だった。
ペテロがダビデの言葉を引用したんだった。
今回はリアルダビデだ。

神様は大事な事を2回言うと聞いている。この箇所が再び私に与えられているということは

いつも喜んでいなさい

そういうことだ。
いつも喜んでいるなんてタイヘーン
そんな出来事がちょっと前にあった。
すぐ忘れちゃうんだから。
もう一回ここ読みなさい。
神様は今、私にそう強く語られている。
 

 
2016年2月3日(水) 出エジ35-36,使10 飯塚師  

 
タイトル:会堂建築は神の働き
御言葉:出エジプト35:21 感動した者と、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての作業のため、また、聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た。

 5節で神様は「・・・すべて、心から進んでささげる者に、主への奉納物を持って来させなさい。すなわち、金、銀、青銅、・・・」と命じられました。人々はそれに応えて、主に捧げるためにたくさんの奉納物を持ってきました。
 神様を礼拝するための幕屋を作るため、エジプトを出るときにエジプト人から金、銀、などをもらえるようにしたのは神様です。そして、今度はそれらのもの捧げるように人々に感動を与えました。また、巧みな仕事ができるように職人には「神の霊を注ぎ、優れた知恵で満たした」とあります。

 礼拝する場所を用意されるのは神様です。私たちは用いられるにすぎません。
まず祈り、祈り、祈り、次に準備していくことが必要と感じているこの頃です。

祈り:天のお父様、あなたにできないことはありません。NLFC新会堂に良い土地、良い建物を与えてください。イエス様のお名前によって祈ります。
 

 
2016年2月4日(木) 出エジ37-38,詩19,使11 Tomoko  

 

詩篇19 12-14

だれが自分の数々のあやまちを
悟ることができましょう。
どうか、隠れている私の罪をお赦しください。
あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。
それらが私を支配しませんように。
そうすれば、私は全き者となり、
大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。
私の口のことばと、私の心の思いとが
御前に、受け入れられますように。
わが岩、わが贖い主、主よ。

私は多分、自分で自覚しているよりももっと沢山の罪を犯していると思います。
こんな素晴らしい祈りがあるなんて!
そして怖いのが傲慢。
イエス様を見上げている時は、傲慢になんてならない。
自分でなんでも考えて行動している時は、傲慢になる。
やはり大事なのは、イエス様と共に 生きること!
この事を改めて心に刻みたいと思います。

 

 
2016年2月5日(金) 出エジ39-40,詩15,使12 新井  

 
S: 出エジプト39章42節 (他)

 イスラエル人は、すべて、主がモーセに命じられたとおりに、そのすべての奉仕を行なった。

O: 出エジプトのイスラエルの民は僕の中では、人間の本質や自分に当てはまる反面教師的な部分が多くあるが、神様がモーセを通して命じられたことをすべてその通り行なったことは見習わなければならないと教えられました。

A: 聖書の御言葉や飯塚先生のメッセージでも行わなければならないことは沢山教えられ、行なっているもの、行なっていたもの、忘れたもの、なかなか出来ないもの、いろいろありますが、今回は日々の生活で、妻に頼まれたものや事、子供に、仕事で言われたこと、またやろうとしてたこと。普段から忘れっぽい自分としては、まずは日々の生活の中で人に言われたことを行なえるようになりなさい、人に言われたことが出来ないなら神様が言われたことも出来ないのでは?今はその訓練の時と言われている気がしました。

P: 天の神様、人に言われたこともあなたに言われたことも、いつもへりくだって素直に行なえますように。また、忘れっぽい僕の頭に、脳に、ふれて忘れることがないように油を注いでください。イエス様の御名によってお祈りします、アーメン。
 

 
2016年2月6日(土) レビ1-3,使13 さかえ師  

 
S使徒13:9-12
9
しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、
10
言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。
11
見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる」と言った。するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。
12
この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入った。


Oその地方の総督がバルナバ、サウロから神の言葉を聞きたいと願っていたのに、
バルイエスという偽預言者は反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。
その時に、パウロが言った言葉通りのことが起こり、総督は驚嘆して信仰に入った。


Aここで、目についたのは、パウロが聖霊に満たされて語ったこと。
聖霊に満たされると、良いことが起こったり、しるしや不思議や奇跡が起こったりする。
ここで、パウロは、偽預言者に対して、主の義を行使したと思う。
彼の中に、聖なる怒りが生まれたと思う。
悪がはびこって行く時に、真正面から取り扱うべき時もある。
言葉を脱ごしたり、躊躇するのでなく、はっきりと対処する。

そして、もう一つ、一見修羅場のように感じるこの所で、このことをきっかけに
人が救われている。
何事も事を荒立てないようにと考えがちだが、立ち向かうー敵対するように見えて、
その事も主が用いられる。
主のみ心なら、この事をして、主のみ心ならあの事もしよう。そんな感じだ。

Pコンフロントする事を恐れないようにしよう。相手に対してまた、周りの目に対して。