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2014年3月2日(日) 民30-31,マルコ9 久保   過去のデボーション

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すべては、火によって、塩けをつけられるのです。<マルコ9:49>

塩けという意味は、塩の効果と言えるでしょう。食物において、塩に漬けこむことは腐敗を防ぐ為の大切な手段でした。ですから、腐敗を防ぐ=清めという図式になったのかもしれません。

そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。<9:48>
ここで言う『そこ』とはゲヘナのことです。ゲヘナという言葉は、ベン・ヒノムの谷を語源とするものであるそうです。ベン・ヒノムの谷は、旧約聖書に象徴的なことが行われた場所です。日本語では地獄という言葉が当てられるのでしょうが、地獄という言葉が、何か空想的・現実的ではない響きを感ずるのとは違って、ベン・ヒノムの谷の方が、より生々しく身近にその恐ろしさ、おぞましさが伝わるのかもしれません。私自身も、聖書を読み続けることで、『彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることが』ない光景が現実感を持って迫るような気がしています。
その場所で、消えることがない火と塩けをつける火は当然、同様のものと考えて良さそうです。尽きることがなく、消えることがないという言葉は、永遠を表しています。前段で、塩=きよめであるとするならば、きよめをもたらすものは火であるわけです。腐敗した物も火によって、その腐敗をもたらす菌は死に絶えます。金属も火によって精錬され純度の高いものが生成されます。にもかかわらず、永遠に腐敗したものが存在しそれを食ううじは尽きることなく、それをきよめる為の火が消えることがない場所がゲヘナであると言えるのです。

今日の箇所で『すべては』と記されていますが、すべての中に信仰告白した者も含まれていることは明らかです。

もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片手でいのちに入るほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。
<9:43>
もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちに入るほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
<9:45>
もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国に入るほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。<9:47>
私は、今、頸椎の損傷で両手・両足の痛みに苛まれていますが、ある夜の寝ている時に、左足が完全に麻痺したことがあります。その時に取った第一の行動は、両手で必死に左足を探していたことです。そして、その感覚の無くなった左足が自分の体につながっていることを手で確認した時には、情けない話ですが、本当に安堵しました。(その後、感覚が戻ってより安心したのですが)しかし、主は、それがつまずきとなるならば、切り捨てよと言われます。感覚のなくなったものでさえ、必死になって惜しんだものを切り捨てよと言われるのです。以前は、【神への従順】がどれほど困難なことであるかと考えていましたが、このことがあって後は、妙ではありますが、【神への従順】がどれほど高価であり、何にも変え難い程の価値があることかと考えるようになりました。
私達は、どんな代価を支払おうともそれを手に入れなければなりません。

豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。<黙示録3:18>
神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精錬するように、私たちを練られました。あなたは私たちを網に引き入れ、私たちの腰に重荷をつけられました。あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。<詩篇66:10~12>
今、もし、苦しみの中にあるならば、主が私達の純度をより高くする為の行程に入っておられます。その火は永遠ではなく、完了をもって消えることとなります。

天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
 

 
2014年3月3日(月) 民32-33,マルコ10 新井  

 
 

 
2014年3月4日(火) 民34-36,マルコ11 飯塚師  

 
 

 
2014年3月5日(水) 申1-2,マルコ12 Tomoko  

 
申命記2・5:彼らに争いをしかけてはならない。わたしは彼らの地を、足の裏で踏むほども、あなたがたには与えない。わたしはエサウにセイル山を彼の所有地として与えたからである。

申命記2・9:主は私に仰せられた。「モアブに敵対してはならない。彼らに戦いをしかけてはならない。あなたには、その土地を所有地としては与えない。わたしはロトの子孫にアルを所有地として与えたからである。」

申命記2・31:主は私に言われた。「見よ。わたしはシホンとその地とをあなたの手に渡し始めた。占領し始めよ。その地を所有せよ。」

神様は、ご自分の決められたことを、明確に私たちに示し、みちびかれています。それに逆 らったイスラエルの民は、40年間荒野をさまよわなければならず、主が導いてく下さる地にも入ることが出来ずに死ななければなりませんでした。神様は、ご自分に従うことを求めておられます。私たちが、自分の勝手な判断ではなく、主がして下さることが最高の選択だと信じて委ねる態度が、喜ばれるのです。日常生活では、主の判断を仰がずに決めてしまったことが沢山あります。あとになって思うことは、ちゃんと主に聞いていれば、もっと良かったろうにな・・・と思うことが沢山あるのです。もっと主に聞いて、委ねる生き方をしたいと思います。

マルコ12・33:「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する」ことは、どんな全焼のいけ にえや供え物よりも、ずっとすぐれています。
 

 
2014年3月6日(木) 申3-4,詩36,マルコ13 理佳  

 
   

 
2014年3月7日(金) 申5-6,詩43,マルコ14 さかえ師  

 
 

 
2014年3月8日(土) 申7-9,マルコ15 Bright